奈良時代の宮の遺構が次第に明らかに <歴史・宮殿・建築物 >

難波宮・現在の大阪市中央区にあった飛鳥時代・奈良時代の宮殿。

史書には載っていたが、第二次世界大戦が終わるまでは所在地は不明なままであった。

1913年大阪城外堀の南付近で数個の重圏文・蓮華文の瓦が発見されていたが、ほとんどの人は省みなかった。

しかし、1953年同所付近から鴟尾が発見された。

このことがきっかけになり山根徳太郎を指導者とする難波宮址顕彰会の努力により発掘・調査が進み、奈良時代の宮の遺構が次第に明らかになった。

そればかりでなく、1958年にはそれよりも一時代古いとみられる柱列跡が検出され、その柱穴に焦土が詰まっており、火災の跡であることが明らかになった。

つまり、686年正月「難波の宮室が全焼した」記録から、孝徳朝の宮室が焼失したと推定でき、その後に天武朝の宮室が建造されたのだと考えられるようになった。

これらを「前期難波宮」という。

1961年、山根徳太郎らの発掘により、聖武天皇時代の「後期難波宮」の大極殿跡が発見され、その存在が確認された。

山根は発見当時、「われ、幻の大極殿を見たり」という発言を残した。
update:2010年03月08日